えなりかずきは凄い奴

今日は某ダイニングで賀茂ナスの揚げ出しやら揚げジャコとシバ漬けご飯を食し、出羽桜なんかを呑んで、気分良く帰ってくる。店周辺の場末な雰囲気からして、安っぽいファミレスな居酒屋に変貌する懸念も無くは無いが、このままのメニューで頑張って欲しいもんです。 
 で部屋に戻ってテレビを点けると地上波の某ジャニーズの番組がやってたわけです。この番組は、かって我らが90年代最強のロックドラマー中村達也村上“ポンタ”秀一先生、土屋“蘭丸”公平師匠がバンドの面子として出たりしたので見たこともあったわけです。
 ゲストの少年隊のニッキを10数年振りにテレビで見たりすると、嗚呼、頭部の砂漠化がそんなところまで進行してるんですね・・・とか思い、年齢には抗えんということか、としみじみ思いました。
 そこで、レギュラーのえなりかずきです。もう何百回となく世間では議論されてるんでしょうが、彼は凄い人です。
 自らのタレント性・ルックスを徹底的に客体視した上での番組上での自己演出たるや末恐ろしいものを感じます。
 移り変わりの激しい10代腐女子の視点をものともせず、徹頭徹尾、自らの立ち位置を弁えた’振り’をした礼儀正しさ+面白くも無いおっちょこちょいな振る舞いのブレンド加減や、ジジ臭さは紛れも無く、渡オニ世代の視聴者層の実直な息子像の理想形といえます。
 そう、例えるならば、お婆さんの田舎料理や塩辛い漬物が好きな孫が可愛がられるテイストを芸人の生きる方法論としてえなり先生はマスターされているんでしょう。
 瞬間最大風速な若年世代よりも、末永くご愛顧頂ける壮年世代のハートを鷲づかみにしているのです。したがってピーコのファッションチェックでゴルフに行く格好なスラックスをボコボコに叩かれても、彼の芸人賞味期限が何ら影響を受けることはありません。むしろ、その野暮なファッションというか、母親にスーパーで一式揃えて用意してもらったような出で立ちこそが、彼の芸人人生の延命装置ということです。