冷や汗

今日は、何処にも出掛けず、PCの前にも極力、長時間は座らず、まとまった量の読書をしていたのだけど、ひょっとして・・・本の読み方忘れちゃった(^^;。>漏れ
 評論なんかだと、大抵は筆者の意図は結局は一つないし二つに収斂していくものが多いので、それを追っかけて、理由-説明、具体-抽象、対立を自分の頭の中で組み立てていくんだけど、全然、出来ない、というか出来てないことすら気付かなかった。
 なので、当然、読後感が薄っぺらい、自分なりの意見の組み立て以前の問題で食べたら消化せずに吐瀉しているようなもんだ。
 凄く、漫然とした読み方になっているし、どうやら、それに自覚しないくらいにボケていた気がする。そもそも、これを意識せんといかんというのが情けない。
 いや、これもおかしい、そもそも本を読む行為になんだか見返りを期待しているようでさもしい、かっては、それ自体が楽しかった筈だ。
 脳細胞が段々と壊死していってるんじゃなかろうか?
 (追記)「もっと本を読んで勉強しなきゃ」っていう物言いが嫌いだ。
 人によっては時に知的好奇心を満たし、時に生活の場で、時に仕事の場で役に立つだろう。まあ、そりゃ、そうだ。
 文字は情報を記録し、伝達することが出来る人類最初の手段だもんな。
 でも、自分にとっては、それも副次的なモノで、ロックのライブやテクノのフロアでの、あの圧倒的な熱量で、忘我というかぶっとべるのと同じくらいに、読書に快楽を求めている(いや、求めていたか?)ので、「賢くなるから」とか「もっと沢山、読まなきゃ」ってな感覚は凄く、アンビバレンツだ。
 ギターのフィードバックノイズやスクリームや五臓六腑にズンズン来る四つ打ちと同じように、単純に言葉に痺れたいし、打ちのめされたい。
 その影響で結果として役に立つか、立たないか、勉強になるか、ならないかなんてのはオマケみたいなもんだ。
 大体、そんなに無理して本読んで賢くなりたいんだろうか?そこまでして、役に立たないと駄目なんだろうか?