つとに

何を言っても月並みになるんだけど、前職ではお客様の関係でごく身近だった路線での事故なので、ショックでした。被害者の方やご遺族の方の居た堪れなさは勿論、現場に従事されてる側を満更、知らない訳でも無いので、妙にアンビバレンツな気持ちになった。
 当事者でないからこそメディアの様にがなり立てて興奮したり、メディア越しの我々も、傍観出来るんだろうだけど、コンロのアルミホイルみたいにペチャンコに拉げた車体を見ると、モニタ越しの上空からその一角だけ、ぽっこりとリアリティが欠如した乾いた風景に感じるし、一方で、その中には生身だったり、既に無機質だったりする複数の人間がひしめいているという生々しさも同時に感じて、何とも空恐ろしい感覚です。
 非日常はある日、突発的にやってくるというかさ、映画やドラマだと、死ぬであろう人間は、突然、クローズアップされて死亡フラグが立ったりして、受け手の我々は心の準備も出来るんだろうけど、現実世界だと、こういったことは得てして、後頭部を突然、殴打される勢いでやってくるんだろうなあ、と。
 日々、死ぬ事ばっかり考えてるようでも生活にゃ困るんだけど、死生観というか、生きてるモノは当たり前の様に無機的な塊になるんだとという手触りだけは常に持っといておきたい。
 (追記)伊丹在住の某取締役は事故後の数十分後に駅に行って、阪急で迂回したそうだ。別に自分の知人が助かったから、それで良いとか言う訳じゃないが(ほら、海外の事故とかで「乗客に日本人は居ませんでした」みたいなの)、普通に生きてたって隣り合わせだもんな。
 日々、事故やら病気やらで亡くなってる方は居るので、大事故だからどうという訳じゃない、が、何時でも否応無く死んでしまうんだってな想像力は多少なりとも持ち合わせときたい。でないと、自身の生をまっとうしようという気にはなれないだろうし、ましてや他者を大切にしようなんて億尾にも出せないでしょ。