名も無き通りから光眩き街へ

U2 「How To Dismantle An Atomic Bomb」How to Dismantle an Atomic Bomb (W/Dvd)
Unos dos tres catoree!! 実は発売日からずっと聴き狂ってて、今年はR.E.M.や殿下の新譜も良かったけど、これはまごうことなく本年度最強のアルバムになるでしょ。
 前作でアウンサン・スーチー女史に捧げられた「Walk On」が9.11の事件以降、完全に意味が変わってしまい、テロ後のアンセムになった。
 テロの犠牲者に捧ぐ追悼番組では多くのアーティストがカバー・ソングやアコースティックによるセルフ・カバーで場の雰囲気に合わせていたのに対し、’あの’独特な空気の最中に彼らだけは自分達の楽曲を通常通りに演奏してオーディエンスを鼓舞することが出来たからだ。
 グラミーで7部門を受賞した際のパフォーマンスやスーパー・ボウルでのハーフ・タイム・ショウを見るまでも無く、米国内での反響は尋常では無く凄まじかった。
 「そんなんダサいやん」、「なんか格好悪い」といった外野のシニカルなノイズも多かったが、そもそも昔からU2は’ダサくて’、’垢抜けなくて’、’暑苦しい’バンドである。
 例えば、POPMARTツアーでのボスニア公演。アコギを掻き鳴らしてチャリティでもやりさえすれば、ミュージシャンが余暇でやるボランティアとして成立するんだろうが、あえてU2側の費用の持ち出しでもって超巨大なあのステージを’そのまま’再現した。
 ブートでもお馴染みのこの公演は、あろうことかボノの喉がボロボロな状態のままEU圏でもラジオにより生中継された。
 殊に無様である。
 が、逆にU2らしいな、とも思う。「格好悪いことは格好良い」、「有言実行」、「でっかいことはいいことだ」、「やらない善よりやる偽善」を地で行き、且つ、世界中でそのままやるからだ。音楽のジャンルがセクト化し、スタイルの百貨店と化したシーンの中で、これだけの規模でマスに届けるんだ、といった妙な使命感すら感じさせるのは今や彼らだけかもしれない。
 今作は当初、クリス・トーマスのプロデュースでスタートしたそうだが、製作途中から80年代BOY三部作でのU2サウンドの要であり、その後もことあるごとにU2をアシストしているスティーブ・リリー・ホワイト、90年代ハイパーモダニズム三部作での立役者フラッド、ネリー・フーパーといったお馴染みの面々、そして今回からU2ファクトリー・チームに加わったジャックナイフ・リーといった複数の名うてのプロデューサーとエンジニアのチームで製作されたようである。
 アルバムはiPodのCMでもガンガン流されていた「Vertigo」からキックオフする。先のラモーンズのトリビュートでのカバーのせいか、アルバムがストレートなロックンロール路線と思いきや、そういった楽曲は実はこれだけ。
 高らかな鐘の様なエッジの伝家の宝刀ギターのイントロでそのままコーラスまで持っていかれる「Miracle Drug」。前作の「Stuck In A Moment You Can't Get Out Of」同様に中年世代(笑)にとって都会のゴスペルとなるであろう「Sometimes You Can't Make It On Your Own」。
 冒頭3曲を聴いた時点でガッツポーズものだ。
 フラッドによるアディショナル・プロダクションが絶妙な「Love And Peace Or Else」。本アルバムのハイライト・トラック!!第二の「Where The Streets Have No Name」に相応しい「City Of Blinding Lights」。ボノの歌詞のテーマでもある’見え無き母’を唄う「All Because Of You」。かってのU2ではありえなかった落ち着いた大衆R&B風の「Man And Woman」。「ぼくはきみのテーブルのパンくずのおこぼれに預かるだけ」と世界を呟く「Crumbs From Your Table」。
 個人的に最も?気に入っているルー・リード御大を彷彿とさせる「One Step Closer」、ちなみにこの曲ではノエル・ギャラガーに謝意を表している。「君みたいな人は君が最初さ」とあらゆる個=君を肯定してくれる「Original Of The Species」。
 そしてアルバムはこれまでのアルバムのラストに無くポジティブな「Yahweh」で締め括られる。
 過去のイディオムを総決算した上で且つ、前作以上の瑞々しさとメンバーの年齢に相応な成熟さが相まって素晴らしい出来になっている。ロック村でのみウケるようなローカルな要素は全く含まれてないし、かといって無味無臭のポップミュージックでは無く、90年代以降顕著になった個と個、私と貴方についてのパーソナルな関係に還元された政治性もしっかりと含まれており、文字通りヘヴィなロックになっている。
 ラリーの爆竹の様なスネアも、決して器用では無いがメンバー唯一のロックな(w、ライフスタイルを繰り広げてきたアダムのベースも、ロック史上最も過小評価されているギタリストにしてコンポーザーであるエッジのギターも、そして傲岸不遜で説教臭くて声も衰えて来た感のあるボノのボーカルもU2サウンドの必須構成要素で、メガロックバンドにしては珍しく20年来ずっとこの4人でメンバー・チェンジの無いのは奇跡的だ。
 ロックの新しいムーブメントが発生する度に市場毎、痩せ細っていくような印象を受ける中で、しっかりと世界中をツアーし、ラジオで鳴り、チャートを賑わせて、と同時にヘビィなテーマを唄い、そして伝えるといったことを相変わらず、ずっとやってきている。
 もう素直に次の来日公演が待ち遠しくてたまらない。
 メガスターを嘲笑う為にそれ以上のスケールとクオリティと凶悪魔による混沌でもって圧倒されたZOOROPAツアーの東京公演。
 スタジアムの屋根一杯のスクリーンに翔ぶ極彩色の翼がただただ美しかった大雪の東京と大雨の大阪のPOPMARTツアー。
 「21世紀にアイロニーの入る余地は無い」と宣言して、それまでのヒストリーをグルっと一周廻ったElevation ツアー、極東には来ないと聞き、たまらず飛んで行ったNewYorkとLasvegasの公演、涙が止まらなかったステージ上のスーツケースに入った’捨て去ることの出来ない’ハート。
 日々、煮しめた様な、’誰とも同じでない’けど、ごくありふれた生活の中で酸素欠乏症にならないのは、こうした音楽があるからだと思う。次のツアーを見るまでは落ち込んでる暇は無いな。